人を育てるにはどうしたらいい?仕事で人を教育する時やってはいけないこととは

「仕事で部下の教育担当を任されどうしたら良いか戸惑っている」

「注意や指導をしてもいまいちかみ合わない」

人が最も成長するのは「教育する立場に立つこと」と言われています。

つまり、成長に値するだけの苦難を経験できるということですね。

どのように指導すれば良いかということは多種多様なので、「これさえやれば上手くいく」ということはありません。

受け取る相手が変われば180度違う対応の仕方でも上手くいくこともあるからです。

というわけで今回は、逆にどんな人に対してもやらない方が良いことに焦点を当てていきます。

教育者やカウンセリングする立場の方が陥りやすいダークサイドを中心にまとめてみました。

教育者ダークサイドあるあるで~す(*´ω`*)

こうならないように気を付けましょう。

「あいつはこういう奴だ」と決めつける

つばき
も~!!お玉ちゃんたらどうしていっつもお部屋を汚すのかしら!!
お玉ちゃん
つばきちゃん、ごめんなさい。なんか分からないけどいけない!と思うほど汚しちゃうの…。
「お前はなんでいつも遅刻するんだ!」

という言葉のように「お前はいつも~だ!」と否定的なことを言われたら、その瞬間からその人のことが嫌になってしまいませんか?

また、自分もいけないと思いつつなぜか繰り返してしまうのは「どうして〇〇なの?」という言葉は、〇〇の行動を強める暗示の効果もあり、ますます悪循環を生んでしまいます。

恐ろしいことに、言葉には出さなくてもこの決めつけは相手に伝わっているのです。

否定的な決めつけ(ラベリング)ほど、相手を不快にさせるものはありません

そして無意識のうちに、多くの人が相手のことをラベリングしながら生きています。

まだ相手のことをよく知らず、たった一面しか見ていないのにです。

教育で大切なのは、教える側と教えられる側でいかに信頼関係を結べるか

かなりの信頼関係ができてからならまだしも、あまりコミュニケーションを取ってもいないのに、こんなことを言ってしまった時には即終了です!

そしてさらに、いかに可能性を信じられるかということも大切なことです。

決めつけて相手を見ることはまさに可能性を奪うこと。

どんな人でも変わる可能性はいくらでもありますので、まずは成長を祈りながら関わることが相手の心を開いていきます。

つばき
お玉ちゃんってどうしてそんなに純粋で優しい良い子なのかしら!
お玉ちゃん
えー!ぼくってそんなに良い子に見える?嬉しいニャ~♪

実はこの否定的ラベリングを肯定的ラベリングにするという効果的な手法もあります。

「どうして~なの?」のような疑問詞の後の「~」の部分を肯定的で前向き言葉にするだけで、そのプラスを増長させることができるのです。

相手は自分が見ているような性質になるという観測者効果と似ていて、「どう見るか」が相手の行動を決めています。

哲学者のクリスチャン・ミラー氏が挙げる「Virtue Labeling(美徳ラベリング)」もその1つ。

相手を操作しないようにと気を付けながらも、「今はこうだけど、きっと本来の良さを存分に発揮できる人だ!」と光を見ながら接することで相手が勝手に成長してくれる、効果の高い方法の1つです。

「好き」「嫌い」の感情で対応する

先ほどの否定的な決めつけによって相手の成長を止めていることと似ていますが、「この人は苦手・嫌い」と思いながら接すると関係性が悪くなっていきます。

つまり、「嫌いだ」と思いながら指導すると、いくら良いことを伝えても相手の心に響かない、改善されないということが不思議と起こるのです。

感情は見えませんが微妙な感覚を通して相手に伝わっています。

「嫌いなのはどうしようもないじゃないか!」

と思いますよね(;・∀・)

正直なところ、私も教員時代どうしても好きになれない生徒がいました。

今振り返って思うことは、「全て自分が思ったことが現実になっていた」ということです。たとえば、

・授業態度が悪い

・宿題をやってこない

・悪態をつく

などの私にとっては思わしくないことが起こったとします。

こんな時、とても不快に思うのはなぜだろう?と内側に意識を向けてみるのです。

すると、

・自分の話をしっかりと聞かない子は悪い子だ!
(授業がつまらないと思われるのが辛い)

・宿題はやって当たり前
(自分の言うことを聞くのが良い子)

・先生として敬ってほしい

という自分の裏の価値観が見えてくるわけです。

でもこれって、客観的にみると私の勝手な思い込みではないか!と分かります。

この価値観を強制しようとしていたんですよね。

そしてもう一歩踏み込み、生徒のマイナスに見える部分が、自分の中になかったかと考えてみるのです。

実は私、学生時代に一番前の席で授業で爆睡してました…(;^_^A

宿題、何度も忘れたことがあります。

嫌いな先生に悪態もついていました…。

あらやだ、自分のことじゃないの(笑)ってことですね。

これを知ることで得られやすい効果は、悪意が消えることや感情に振り回されずに相手を見ることができるようになることです。

「どう見るか」で相手は変わります。

「好き」「嫌い」は勝手に自分が作り出した感情で、相手は悪くないのです。

結果や見返りを求める

「こんだけやってやったんだから、感謝してよね」

「こんなにエネルギー注いでやったのに、どうして言うことをきかないんだ!」

つい教育する立場としては、エネルギーをかけた分返ってくることを期待してしまいます。

そして、期待に応えられない者はダメとレッテルを貼りがちです。

なぜこのような気持ちになってしまうかというと、

1、自分の能力を過大評価している

2、人は変えられると思っている

ということが挙げられそうです。

逆に考えると、よほどの影響力がない限り人を動かすことはとても難しいと諦めることで、楽になれます。

また人が思うように動かなかったり、成長が見られない時は、潔く自分の力不足を認めることです。

別の観点で見ると、相手にとって今がタイミングではないだけという可能性も。

よく学校では、現役で通っていた頃は叱られることの多かった生徒が卒業して顔を見せに来た時、驚くほど成長しているという光景がよく見られます。

「離れてみてはじめて、先生の言うことが分かった」

彼らは口を揃えてそんなことを言うのです。

自分が苦しく辛い思いをしないと、また同じ立場にならないと分からないこともあります。

相手に「今」を求めず広く受け止める懐も教育者として必要な資質かもしれません。

相手の意思やタイミングを変えるだけの力はないという無力さも自覚することで、教育者自身も謙虚になれ磨かれていきます。

教育者の「絶対こうすべき」「これさえやればOK」は危険

ある程度教育者としての年数を重ねると陥りやすいのが、「こうするべき」にこだわることです。

また慣れがくることから「取り合えずこうすれば良い」という対処療法的になるのもよくあります。

経験は宝ですし、それを生かすのは良いことです。

ただそれがあるために考えることや相手と向き合うことが疎かにならないように、常に自分を見張る必要はあるかもしれません。

教育者になったばかりの頃はすべてが新鮮で、1人1人のこともかけがえのない存在に見えます。

それが何年も経つにつれ、沢山の人の中の1人に過ぎず、新鮮さが失われていきます。

新鮮さが失われることで起こるのは相手に対して「愛を失う」こと

きちんと向き合わなくなってしまうのです。

事実、目の前の相手は唯一無二の存在。

そのことを忘れずに意識を向けて接していくことが、「一流」か否かを分ける教育者の要素ではないかと思うのです。

話している自分に酔い「悦」に入る教育者

これは面談をする時や、人前で講義をする時などに気を付けたいことです。

教育者に限らず普段の会話でも「喋ることが楽しいだけで、相手を見てないなぁ」と思われる人がいます。

往々にしてよく話す人が多く、いくつかの話し慣れた持ちネタを持っている場合が多いようです。

そのような人は相手が辟易しているのにも気づかず話を続けてしまいます。

話すことが楽しいからです。

自分が大好きということもあるでしょう。

教育者の中には話好きの人が多いので、これは要注意です。

自分の持ちネタを消化して楽しんでいるのは、本当のプロとは言えません。

相手の様子をしっかりとうかがいながら、話題や話口調や自分の雰囲気まで変えられるのが本物かなぁと、個人的に考えています。

プロともなるとガチガチに準備をするよりも流れに身を任せ、感覚を研ぎ澄ませながらその時に降ってきた言葉を伝えるという人もいます。

これが究極形ではないでしょうか。

相手に今何が必要なのか、どのようなタイミングなのかを見分けるのは、莫大なエネルギーと集中力が必要です。

そこまでの愛を向けて「何とか良くなって欲しい!」と思いを込めるからこそ、パッと言葉が降ってきます。

また、閃くことのできる自分を信じているとも言えます。

相手と真剣に向き合おうという気概が、第六感的な感覚を呼び起こすことがあるのです。

自分がしてやったと傲慢になる教育者が多い

つばき
ご近所の方に、お玉ちゃんカワイイって褒められちゃった~。これもみんな私のオ・カ・ゲ
お玉ちゃん
つばきちゃんのお陰もあるかもだけど、全部ってのはちょっと納得いかニャいッす!

これまた教員時代の話をしますと、先生あるあるでよくこんな人がいます。

「俺があいつらを全国大会へ連れて行ったんだ」

「あの学年で東大生〇名入れたのは私のおかげ」

滑稽なようですが、彼らは真剣にそう話すのです。

それを聞くたびに、聞いている私が恥ずかしく(〃ノωノ)、地面に大きな穴を掘って埋めてやりたい気持ちになりました。

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このプライドさえ捨てられれば…!プライドの本質から解決方法の新提案まで

「お前じゃなく、生徒が頑張ったんだよ!」ということ。

また自分を褒める人というのは、他人からの評価を気にする小心者であることを、自ら暴露する行為であること。

そんなことが見えてくるわけです。

指導者は無私の気持ちで相手を想い、叱咤激励し、やる気を起こさせ、その人が本気で力を発揮させられるようになるまでを見届ける存在。

「自分が〇〇してやった」

と言っているうちは、まだ自分のためにやっているということで、とてもいやらしい空気感を発してしまいます……(´-ω-`)

どうしても相手が良い結果を出した時、一緒に喜びつつ、「これって自分のおかげ?( *´艸`)と思ってしまいますよね。

そんな時には喜び過ぎず、「本当によく頑張ったなぁ。私も良い勉強をさせてもらった」と感謝の気持ちに切り替えましょう。

まとめ

お玉ちゃん
教えるって相手のことに意識が向きがちだけど、実は自分と向き合うことが大切なんだニャ~
つばき
そうなのよねぇ。結局自分が変わっていけば、相手も不思議と変わるものなのよ~

自分のことだけやってる方がどんなに楽か…。

教育に携わる人の多くが思うことではないかと思います。

けれどもこれを通過した先にあるのが、役に立てた喜びです。

自分だけの喜びには限界がありますし、時には虚しくなることも。

教育は、人ととことん関り、心から励まし時には突き放し、厳しく叱りの繰り返しです。

こんなふうに関係を紡ぐことはエネルギーを使い、悩みや葛藤も生みますが、共に生きる喜びを味わうことができます

成長をサポートできることに感謝しながら意識を注ぐことができたならば、魂が震えるようなこれ以上ないほどの感動を味わえるお役目となるでしょう(*´ω`*)

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