若作りで痛いおばさんと言わせないための一考察

人生においてオバサンやオジサンと呼ばれる期間の方が圧倒的に長い。

そして、特に日本人は「若さ」に敏感であり、それを称賛する価値観がある

以前は、若さこそ素晴らしいと崇める男性を見ると、「○○、お前もか…」とガッカリしたものだ。

成熟を好む西洋からしても、未熟な価値観だと思われるのかもしれない。

けれど私も大人になり、最近はそれも一つ日本的な価値観なんだなぁと受け入れられるようになってきた。

伊勢神宮の式年遷宮の感覚を見事受け継いでいるではないか!と。

20年の1度神殿を新造して常に若々しく何度でも蘇る「常若(とこわか)」精神がそうさせるのかもしれない。

(気のせい?)

それが「若く見えるね」という最高の誉め言葉を生み、女たちは一喜一憂してしまうのだが…(´-ω-`)チーン

そこで「若く見える」と「若作り」とでは大きな隔たりがあることにふと気づいた。

まだ10~20代の女子や、すっかり自分を棚に上げた男たちの言い分は辛辣なのだ。

けれども、やはり大人女子としては「えー、あんな風になりたくな~い(*´з`)」と後輩女子に言われるのは心外なもの。

誰に見せる訳ではないけれども、どうせ歳を重ねるならば「あんな歳の取り方をしたい」と言われるような、洗練された生き方をしていきたいと思う。

今回は決して「若作りで痛い」と言わせないための心得を、自戒の念を込めてまとめたい。

多分自分にとって耳の痛い話になることは間違いないが、目を逸らさずに書くのでもし良ければお付き合いください。

若作りおばさんの心理


「若作りのおばさん」と言われるほど、何だかいたたまれないものはない。

ではなぜ若作りおばさんが痛々しく見えるのか。

自分の傷をえぐるような気持ちではあるが(´;ω;`)、正確に分析していきたい。

これは自分が一番「若さ」に価値を見出してしまっていることではないかと思う。

そして相手からの「若いね」評価を欲しがっているところだ。

その、迎合している悲しさが透けて見えてしまうのが痛さの根本ではないだろうか。

なぜなら本来の自分の年齢に堂々と価値を認めれば良いのに、それを否定しいるようなものだから。

そして、一目見ただけで「若いですね」と言われたがっているのが分かるような外見をしたがるところがある。

ミニスカートをはいたり、20代女子が似合うと思われる服装をしてみたり、不自然につけまつげをしてみたり、髪の毛を巻いてみたりする。

これは自分はまだまだ大丈夫だ!と確認することに他ならない。

それが一体感をなしていれば何も違和感はないが、顔の疲れハリのなさはそのままにして、服装だけメイクだけが浮き立っているから「若作り」と言われてしまうのだ。

家の鏡で見た時には「イケる!」って思ってしまうのだが、おかしいな…(;^_^A

そう、一体感があるかないかを客観的に見極めることは結構大切なことだ。

1人の人間をトータルで見た時に、調和しているかどうかということ。

人は鋭いもので、パッと見ただけで全体的にまとまっているか、不自然かどうかを感じ取る能力がある。

全体的にまとまっていて違和感がなければ自然に受け入れられるが、たまに目が違和感をキャッチしてしまうことはないだろうか。

よく二度見されるという人は要注意だ。

2パターンあって、1つは好みのタイプだとか、とても洗練されていてもっと見たくなるような人である場合。

もう1つは、顔と服装・メイクなどがちぐはぐで不協和音を奏でている場合

前者はやや前のめりで食い入るように見るが、後者は好奇の目であったり、引き気味なのに目が離せないといった感じで見るだろう。

他人は鏡。

そこを十分見極めていきたいものだ。

痛い若作りおばさんに足りないもの

若作りで痛いと思われている人には違和感があるとお話した。

では、どうすれば良いのか。

大切なのは一体感であり、調和だと私は思っている。

この一体感は一人の人間だけで見るだけではなく、もっと広範囲で視野を高く持って感じ取る必要がある。

レベル1  もともとの顔(パーツや筋肉やシワなど)の状態とメイク

レベル2  顔と服装

レベル3  肉体の状態(脂肪や筋肉の付き具合・ハリ感)と服装

レベル4  身体全体を見た時に違和感はないか

レベル5  その日会う人たちや会合の内容との調和

レベル6  現代との調和

自分で書いていながら、人は非常に細かなことに気を配りながら生きているものだと、言語化して改めて気づいた。

痛く見える人の共通点として、メイクやファッションに時代錯誤があることが挙げられる。

「…それって、あなたの若い時のメイクですよね?」

「それまだ着てるんですかぁ?」

みたいなことだ。

若い時の感覚、「あの時はこうだった」という世界の中に生きているということかもしれない。

過去に生きている限り「今」との一体感は永遠にやってこない。

確かに過去の甘い記憶は自分を慰めてくれるものだ。

かつて「〇〇ちゃん、それ似合うね」とか「カワイイじゃん」なんて言われて日が確かにあった。

けれども、そこからいつかは旅立たねば、そして現状を受け入れていかなければ「今」の自分を輝かせる瞬間はやっては来ない。

今の私をそろそろ受け入れても良いんじゃないだろうか。

だって若さはもう帰っては来ない。

その若さにしがみつかずに、今の私を十分に受け入れてあげれば、年齢を重ね成熟しただけの魅力を開花することができる。

「若さ」「老い」は自然が与えてくれるものだけれど、「洗練」「深み」「凄み」「色気」「知性」「包容力」「温かさ」「人間性」などの魅力は自分が培っていくものだ。

それらはきっと年齢を重ねるほど磨かれ、魅力を増すことのできるものだと思う。

けれどもやっぱり若く見られたい!?痛いおばさんにならない若見えの方法

私は常々、「年齢は数字」だと思っている。

だって、人間は皆個体差があるため、若く見られる人もいれば年齢の割に落ち着いて見られる人だっている。

若くても成熟しているような内面のひともいれば、いつまでたっても未熟な人もいる。

年齢を聞いただけで判断するような人は放っておくのが良い。

「戸籍年齢は忘れ、自分の年は自分で決める」

人間の身体は自分が思ったことを形にする面白い機能を持っている。

そもそも細胞は生まれてからというもの、絶えず生まれ変わりのサイクルをもって入れ替わっているのだから、別に年齢に合わせて肉体も年をとる必要はないのだ。

ただ、自分の親や周囲の人を見渡した時、「こんな風に老いていくんだな」と勝手に思い込んでいるから、その思考が我が身を形作っているのにすぎない。

そして、若い人をとにかく見る機会を増やすこと。

若さを目から脳にインプットすることが、長期的に若さを身体に取り入れるのに効果がある。

若い人を見た後に、鏡で自分の顔を見て「あれ?何だかおかしい」と思うことで身体が修正されていくのだそう。

これは前提として「ずっと若い身体でいるものだ♪」と思い込み、そうなると決めることが大切だ。

人間思い込みが激しい人ほど結果は出やすいので、疑い深い人も一度騙されてみて欲しいと思う。

「疑い深い」ということは過去の記憶や未来の不安から来るもので、自分を守るための思考パターンだ。

これは人間の持つなくてはならない高度な能力だけれども、一方で何かにチャレンジしようとか突き進もうとするときのストッパーになってしまうというデメリットもある。

このストッパーをはずして少しおバカになったぐらいの感覚で、「じゃあやってみよ♪」と乗れる人の方が実は若さは保たれやすい。

新しいことにどんどん挑戦し、吸収し、成長を止めずに自分をフル稼働させ続けているため、心身ともに代謝が活発に行われるからだ。

その精神性が表情筋を動かし、自然と頬の筋肉が鍛えられ口角が上がることで若く見られることに繋がっていく。

洗練された大人の女性でありながら、若く見られる方法

これは非常に難易度が高い。

芸能人でたとえるならば、平子理沙や山口智子・石田ゆり子など。

年齢と実物を見比べた時、奇跡と言われる女性は確かに存在する

これは女優で美を売り物にしている人たちだから、と限定的に考えることもできるけれども、じゃあ一般人の私たちにはできないの?というとそうでもない。

私は実際沢山の驚くほど年齢とかけ離れた外見の人と会ってきたからだ。

若いということも大きなポイントかもしれないが、その人にしかない個性や魅力を発揮しているため、存在自体に輝きがあってもはや年齢なんてどうでも良く思われる。

その人たちに会う度に希望がわき、自分もこうありたいと奮起し、元気が出てくる。

ある人が言うことには、「自分の年齢を離した時に驚かれるのが楽しくて仕方がないのよね(´艸`*)」とのこと。

こんな風に生きられるなら、年齢を重ねるのは悪くはないどころか誇りになるのだ。

外見的な共通点としては、今の自分をよく知り尽くし色やデザインや髪型・小物に至るまで、神経を行き届かせていること。

この「今の自分を熟知している」ことが大きなポイントではないだろうか。

過去の自分の記憶から、古いメイク・時代に合わないファッション・場に合わない若作りをしたのでは、この素敵さは醸し出されない。

「今」の自分の長所短所を見極め、長所が活きるような工夫をすること。

また、老いない人生を選択し、肉体のメンテナンスを怠らないことだ。

肉体年齢が若ければ、若作りする必要はなく若い格好をすれば良い。

ただそれだけのことじゃあないか(*´▽`*)

肉体の若さを保つ方法は、筋肉力を増やし、血行を良くし、いつまでも新しいことに挑戦し続けるフットワークの軽さをもつことではないかと思う。

年齢を重ねるとどうしてもプライドが邪魔をして、恥をかけなくなってくる。

頭を下げられなくなっても来る。

「こんな年でって思われたらどうしよう…」

なんて頑なに自分を守りたくなってしまうのだ。

でも、たとえ一瞬笑われても、新しい世界を知り様々なことを吸収できる喜びを得られるのなら、プライドは捨てても良いのではないだろうか。

傷つけられないようにと頑なに自分を守るよりも、一緒に「あはは(^O^)ダメだね私って~」と笑えるくらい大らかになった方が実は幸せだったりするのだ。

痛い若作りおばさんにならないために肝心なのは精神的な成熟度

なぜ皆に「若作りが痛い」と言われるのか。

よくインスタなどで明らかに加工した画像をアップしたり、自分の写真ばかりをアップし「自分アピール」をしてしまう人がその被害の対象になってしまっているようだ。

「本人が楽しければ別に良いじゃん。」

と傍から見ていて思うけれども、多分そういった投稿をする人たちは人一倍承認を求めているんだろうなぁとも思う。

だからこそ大人女子が気を配るべきは、きっと大人にしか出せない精神的な豊かさを感じさせることなのではないか。

多分、自分が思っている以上に周りからは「大人とはかくあるべき」という風に見られている

それが姿を見た時、そして投稿を見た時に「大人なのにそんなことをやって…」と思われているのではないだろうか。

若さ溢れる人たちも(言い回しが既にオバちゃんですが(^-^;)、いつかは自分も年を取り落ち着くことを知りながら若さを演じているのかもしれない。

そうした時に、自分たちと同じようなことを大の大人が本気で楽しんでいることはある意味滑稽に映ったのだろう。

「でもさ~、大人だって楽しみたいのよ~…(..)」

と思うので、何かしらの大人臭を加えてみようと考えている。

それは子ども時代には分からなかったことを語ってみることや、きちんとした所作や、美しいと思われる価値観の提供など表現の仕方は様々だ。

「なかなか大人も良いもんでしょ(^_-)-☆」

と大人のカッコよさ・味わい・深みを感じさせるような生き様を見せることが、次世代の希望となるかもしれない。

生きること、年を重ねることは決して悪くはない。

むしろ経験を積んできた証であると自信を持ちながら、かつ肉体の若さを保ちながら生きられたら最強だと思っている。

「若作りで痛い」なんて決して言わせない、若さだけが価値あるものではないことを大人の余裕をもって教えてあげられることは、巡り巡って成熟した日本文化を創り上げることにもきっと繋がるだろう。

まとめ

ずっと良い年の重ね方や、生き方について考えたいと思ってきた。

これまでは世の中の若さに価値を置くような風潮に合わせなければと、それを追い求めてしまっている自分が嫌だったから。

もしかしたら自分でそれを表現したら、私の周りの人たちからでも少しずつ変わってくれるんじゃない?

今ではそう思えるようになってきた。

世の中に合わせる必要はない。

自分が良いと思うものの価値を信じ、体現していけば良いんだ。

その時々で、自分の魅力や味わいや個性を最大限に表現して生きていけば、年齢など気にせず生きられる人になる。

そんな生き方を是非共に歩んではみませんか?