つい言ってしまう余計な一言を直したい!原因と対処法

つばき
お玉ちゃ~ん、また余計なことを言って嫌な顔されちゃった…。
お玉ちゃん
つばきちゃん、いっつも後悔してるのに、またやっちゃったの?
どうしたら止められるんだろうねぇ?
つばき
だよねぇ!
私ったらいつも同じ後悔してる。
もういい加減直したいよぉ。

余計な一言を言ってしまうのはなぜでしょうか。

「あの時あんなことを言わなければ…」

と思っても後の祭りです。

なぜ直せないのか。

これからお伝えすることは耳が痛いではなく、目が痛い?内容かもしれません。

また、否定されたような気持ちにもなるかもしれません。

「何とかして直したい!」

「余計なことを言ってしまう自分と向き合いたい!

そんな方だけに読むことをオススメします。

まずは表面的には気づけない原因を探っていきましょう。

正しいことは良いことだと思い込んでいる

心のどこかで「本当のことだもん。」という気持ちはありませんか?

「正しさ」に価値を置くことは二元化を進めます。

善か悪か。

自分にとって善と見なさない場合は、正そうと余計な一言を言ってしまうわけです。

年を重ねるほど色々なことが分かり、自分が絶対正しい!と思う気持ちが強くなってしまいます。

こんな言葉をご存じでしょうか。

「どっちも自分が正しいと思っているよ。

戦争なんてそんなもんだよ。」

~ by ドラえもん ~

ドキッとさせられる言葉です。

どちらが正しいかを競うことは戦争を生みます。

コミュニケーションで大切なのは正しさを競うよりも、和合すること

誰もが自身の「正しさ」を証明するために、身を滅ぼしているのかもしれません。

自分は完璧だ・絶対正しいと思っている


「そんなこと思ってない」

と表面的に思っていても、無意識では自分が正しいと思ってしまっていることがあります

こんなことはありませんか?

・誰かから指摘されるのが正直なところとても不快だ

・「もっとこうすれば良いのに」といつも考えてしまう。

誰かの行動を見たときに、このようなことを考えてしまう人は実は「自分が正しい」と自信を持っている人です。

何かを目にした時、無意識にジャッチしてしまっています。

意見や考えを持つことは良いことなのですが、自分と異なる言動に出会った時は要注意!

自分と同じでなければ批判する対象になってしまう可能性があるからです。

自分が正しいことを主張したいがために一言多くなってしまうんですね。

現代は特に1億層評論家時代と言う人がいるほど、何かに意見を言いたくなる、攻撃したくなる空気で満ち溢れています。

視点を変えれば皆正しいのかもしれません。

相手の正しさも認める心の余裕が欲しいものですね。

直接指摘してあげるのが親切だと思っている

私が教員時代、ほぼ毎日遅刻をする生徒がいました。

もし「遅刻をするな」と言って生活習慣が直るのなら苦労はありません。

なぜなら、誰よりも自分が一番よく分かっているのに直せていないからです。

どうしても間に合って来られない事情が彼にはある。

こんな時声高に、

「どうしていつも遅れてくるの!?」

と言ってしまったならば、彼は永久に学校に間に合うことはないでしょう。

残念ながら、多くの教育関係者はやりがちなのですが…。

このような言葉は正に相手に冷や水をぶっかけるようなもの

私なりの応援の仕方は「昨日より5分早く来れたね」などと伝えることと、

何気ないコミュニケーションを取り続けて、居場所を作ることでした。

あとはタイミングが来るのを祈るしかありません。

教員とは無力なものです。

きっといつの日か、遅刻を心から反省する出来事や、遅刻して迷惑を被る体験をすることで、沢山の人たちからの言葉が彼の腹に落ちることでしょう。

相手を変えられると考えている


「そんなに変えたいなら、余計な一言言わなきゃいいじゃん!」

と言われたら、どんな気持ちになるでしょう。

分かってるけど止められないから悩んでんじゃん!

となりますよね(;^_^A

戦争勃発です。

余計な一言とは、相手にこのような気持ちにさせてしまっているんですよね。

言った本人は全く悪気はありません。

思ったことをそのまま伝えただけ。

さて、「余計な一言を言わないようにするぞ!」が何度目かの正直になってはいませんか?

自分が変わることですらとても難しいものです。

いわんや他人をやです(^o^;)

その難しさを理解した上でも、関わり続け伝える愛が自分にはあるのだろうか。

常に内面を観察します。

言いっぱなしは、ただただ人を傷つけただけの人になってしまうのです。

自分の正当性を認めさせたいと思っている


言わばマウンティングというものです。

言い方は違えど、「私の方があなたよりも上よ!」と言っていることは、自分でさえも気づけないことがあります。

相手を見て、頭で考えたことや気づいたことは、ついそのまま言いたくなるものです。

けれどもそこで踏みとどまって、心の点検作業を試みます。

・今言おうとしていることは、自己顕示欲ではないか。

・相手を思う気持ちから来ているか

人間は、本心と真逆のことを表面的に思っていたり、言葉として現したりすることがあります。

自分をも騙すことがあるのです。

口では「あなたのため」などと言い、表面的にもそう思っていたとしても、心のどこかに意見することを楽しんでいるもう一人の自分はいないでしょうか?

余計な一言を言いそうになった時には、自分への観察力が弱まっている時。

何事も始める時の気持ちが大事です。

ボールを投げる時と同じで、叩きつけるように放ったボールは下向きにいきますし、大空に向かって投げたボールは弧を描いて遠くまで飛んでいきます。

前向きで温かく相手のためを思って行うことかどうか

ここが起点であるならば、どんな言葉であれ相手には気持ちが伝わります。

余計な一言を言わないための対処法

つばき
なんだか知らないうちに人を傷つけてきたみたい…。
お玉ちゃん
大丈夫だよつばきちゃん!お互い様だもの。
それよりも止められる方法を考えよう♪

自分は現実を正しく見ていないことを自覚する

目の前の現実をありのまま見るということは、実は相当難しいことです。

皆、自分のフィルターを通して、見たいように世界を歪めて見ています。

それを認めることは、相手に向かっていた意識が自分へと向くように変化していくのです。

「あれ?自分が見ている現実って本当に事実なのかな?」と。

まずは自分が本当に相手を正しく理解しているか、自己対話により確認してみます。

その内容は以下の通りです。

・ある一部分しか見ていないのに、それが全てだと思い込んではいないか。

・たまたまその時だけ悪く見えたものを、その人の本質だと決めつけてはいないか。

・「この人はこんな人」と決めつけるために、後付けで「ほらやっぱり」と言える証拠に当てはめているだけではないか。

・良いところも嫌な部分もクローズアップし、人物像を作り上げてはいないか。

注意深く点検しないことで、自分の勝手な世界を作り、相手を決めつけてしまうことは多々あります。

それなのに人は「自分は正しく見る目を持っている」と信じて疑いません。

この自己対話を行うと自分が間違っているのかもしれないと否定されたようになり苦しく感じるでしょう。

ひどく恥じ入る気持ちになることもあれば、胸がズタズタに引き裂かれるような気持ちになることもあるかもしれません。

けれども自分が完全に正しいと思いすぎることは、相手が傷つくことを平気でするようになるということ

相手のプライドを傷つけるような一言をうっかり口にしても平気でいるような、フランケンシュタイン人生になるだけです。

誰にとっても自己対話は、相手との細やかなコミュニケーションに必要不可欠な取り組みと言えます。

目の前の現実を疑ってみる

いかにも否定したいような正したいような出来事が起こったとします。

たとえば、「部下Aは間違ったことを言っている」<主張>と感じたとしましょう。

そこでいつもならばすぐに頭の中で批評してしまうところを、少しだけストップしてみるのです。

自分の主張に敢えてツッコみを入れるもう1人の自分を登場させます。

そのもう1人にツッコませることは以下のような内容です。

→ 本当に自分の意見が正しいと言えるだろうか?

→ 相手の言動があることによって、逆にチームがまとまったり救われたりする人がいるのではないか?

→ 自分フィルターで相手を歪めて見てはいないか?

→ 正当性を主張するために悪いところを誇張して見てはいないか?

→ 本当に今伝えるのがベストなタイミングなのだろうか?

→ 自分の意見を言いたいがために利用してはいないか?

などということです。

こんなにツッコむんかい!

と逆にツッコまれそうですけど…(-_-;)

要は、今にも相手に話したくて仕方がない状態の時に、こんな風にあらゆる角度から見れるほど冷静になるということです。

人は表に出している性質と本質が逆の場合も多いもの。

このようなツッコみがあることで、事実や相手のことを正確に見直すことができるようになります。

その余計な一言によっていかに傷つけているか自覚する

皆自分を守るのに必死です

なぜならば傷つけられるのが怖いから。

誰かから直接的な言葉で否定や指摘されることは、多くの人にとって嫌なことにはなっても、感謝することにはあまりならないのではないでしょうか。

たとえそれが本当のことであっても(本当であるが故に)反発し認めず自分を正当化しようとします。

ですから、直接ズバリと言うことは反発を受けるだけであまり意味がないのです。

また、実は周りの人は自分に対して指摘したいことがあっても、黙っていてくれていることもあります。

分かっていて、触れない優しさ。

つい一言余計に言ってしまう人は、嫌な面を見ながらも関わり続けてくれている人への感謝を見落としてはいないでしょうか。

かといって気になる人や言動をそのままにしておけない、ということもあるでしょう。

少し高度な方法になりますが、「相手が自分で気づくように仕向ける」というのがあります。

そのためには、相手を傷つけないような心遣いと、自己アピールしたい気持ちは抑えた上で、以下の行動を取ってみるのです。

・「なるほど!そうすれば良いんだねぇ」と相手の前で納得してみせる。

・敢えて気になる部分を褒める

・自ら反省している時に、指摘するのではなく「どうすれば良かったのかな?」と一緒に考える

誘導尋問にならないようにするのがポイントです。

あくまでもベストな瞬間が来たら行うということで、タイミングが命となります。

焦って指摘するよりは、認識はしつつ優しく見守り時期を見極めるのが優しさなのではないでしょうか。

まとめ

つばき
人ってアドバイスして欲しい人には自分から聞いてくるものだよね。
お玉ちゃん
ぼくもそう思う。
お願いしてないのに勝手に指摘されても、拒絶しちゃうな。
つばき
反対にお互いを大切に思いながら普段から関わっていれば、ちょっと指摘して怒っちゃうってこともないのかもね。

思ったからそのまま言った、というのでは人を傷つけるリスクがとても高いものです。

しかも自分ではそんなに大したことはないと思って話すので、余計たちが悪い(;^_^A

相手にグサッと刺して終わりということになりかねません。

また言ってすぐ直せるかというとそうでもありませんから。

9割方は飲み込んでタイミングを見た方が良さそうです。

普段からよく人間観察し、ここぞというタイミングで、相手が自ら気づくように仕向けることが本当の優しさだと思います。

ですから、人に指摘したり、サポートしたりすることは本当に難しいものです。

相手を慮ることはとても良い修行になりますね

(*´ω`*)

私も反省の日々ですが頑張ります!