美しくなる必要性って?外見磨きの本当の効果とは

外見を磨くことを軽視する風潮があるような気がしてならないのは私だけでしょうか?

男性女性問わず、美しさやカッコ良さを追求したくなるのが、人間の心理と言えます。

特に、女性にとって美しさは永遠のテーマです。

一時期、年齢不詳の女性を「美魔女」などと呼び、若さと美しさが称賛されました。

多くの働く女性たちも、家庭を支える主婦の方も、仕事を頑張ってきた自分にご褒美♪とエステの予約を取ったり、高級化粧品を買ってみたりしますよね。

「そういうことも無ければ、何のために生きているのか分からなくなっちゃう…」

女性たちを自分磨きに駆り立てるのは、そんな切なる思いが秘められています。

男性も「モテたい!」という気持ちや憧れから、外見を整えようと思うこともきっとありますよね。

私も自分磨きを継続している1人なのですが。

なぜだか外見を磨きを広言すると、見た目ばかり気にして…と言わんばかりの視線を向けられることがあり、堂々と言えないところがありませんか(;^_^A?

ということで、今回は外見を磨くことの本質的な意味に迫ってみます。

堂々と外見を磨いて良いのではないかと思うのです。

アンチ自分磨きの方も、是非反論していただいて(笑)共に考えていきましょう♪

外見は内面そのもの

「見た目よりも中身」

などとはよく言われることです。

果たして本当にそうなのでしょうか?

この発言は、人間のそれぞれのパーツを分断して考えていることを表しています。

心と身体は別物という発想ですよね。

さて、「自分」の身体と心は、本当に切り離されているのでしょうか

こう考えると、それは違うなぁと思う人も多いと思います。

心根は表情で感じられますし、服装一つとってもその人の考え方や個性が表れますからね。

また、その人の肉体の状態を考えると、とても密接に関係していることがわかります。

例えば、身体にトロトロとした脂肪が沢山ついている人は、甘党だという食生活も垣間見られます。

なぜ甘党になってしまうのかというと、もしかしたら多くのストレスを抱え、発散のためだと採りすぎているかもしれない、と推察できるのです。

緩んだ身体になると、気持ちまで緩んでしまうのは不思議なもの。

まさに負の連鎖ですね。

また、内面がねじれていて人と素直に関われず、逆をしようとする傾向にある人は、いつも足を組んでいることが多いようです。

こんな感じで、外見は内面であり、内面もまた外見なのだということなんですね。

そして、これらは双方向で関係し合っています。

どちらかが変化すると、それに連動して片方も変化する、切り離せない一体のものだと思うのです。

外見磨きで人生を変える

この性質を理解し自分を見つめ直すことが、人間を深く理解することに繋がります。

私自身、実践することで人生全般がかなり変わってきたことを実感しているのです。

実は少し前まで、服装のサイズは11~13号を着ており、体力はなく、冷えきっていつも体調不良、セルライトだらけの身体でした。

二重あごでぜい肉だらけでしたが、体質とか年齢のせいにして諦めていたのです。

常に倦怠感や頭痛がありましたし、貧血でふらふらすることもありましたが、それが日常でそんな自分の身体で当たり前。

今思えばかなりひどい状態でしたが、もはや自分ではどうにもできませんでした。

けれども、「このままでは嫌!」という心の叫びが限界に達して、自分と向き合い自分を愛そうとある時決意します。

つい最近のことです。

なりたい憧れの人を見ながら、毎日せっせと磨き初めて半年が経ち、まずは努力の甲斐あってサイズが7~9号までダウンしました。

それまで無視していた身体に謝るように、脂肪を揉み込み、簡単なストレッチや筋トレを毎日せっせと継続した効果でした。

するとそれを見ていた周りの人たちから、誉められることが多くなってきます。

また、洋服が前よりもキレイに着こなせるようになって、とても嬉しくなるんですよね。

今まで何もできないと思っていたけれど、自分はやればできるかもしれない、と信じられるようになってきました

このような外見の変化も嬉しいのですが、外見を変えたことによって一番効果を感じたのが、実は「健康」です。

外見がきれいになるためには、内臓・脂肪・骨・血液とあらゆる内側の働きが整わなければ形になりません。

先ほどの、外見と内面が一体であることと同じことです。

まず形を整えようとすると、筋力が必要となります。

適切な位置で臓器を支え、脂肪の受け皿となり形作ってくれているからです。

よく、痩せれば美しいと勘違いしている人がいますが、ただ痩せているのはやつれているだけで、美しくはありません。

またホルモンの分泌もうまくされませんから、体調もどんどん悪くなってしまいます。

また、不思議なことに最初から健康だけを目指した場合、美しさまでは到達しません

これは後に詳しくお話ししますね。

美しさを目指すからこそ、健康も手に入るのです。

健康になることは、活動の幅を広げてくれるので、人生の可能性がどんどん広がっていきます。

体調が良好になることで、思考もなぜか前向きになり、なんでもできる気がしてくるので不思議です。

結局、人間の能力は大きな差がありませんから、いかに志をもって行動できるかにかかっています。

「美の追求」は、外見を磨くためだけではなく、大いなる可能性を秘めた自己実現の入り口でもあるのです。

美しさを求めるのは低次なこと?

最初にもお伝えしましたが、なぜか美意識や美欲が低次であると捉えられていて、とても違和感があります。

そんなことをするよりも、知識や内面を磨くのが良い。

確かに、知識や内面磨きが大切なのは最もなことです。

だからといって、自分磨きを疎かにして良いとは決して思いません

なぜなら、私たち人間は「形」があることに意味があるからです。

もし地球上の生命体が、皆「気体」のように目に見えないものだとしたら、全く得られるものや学びが変わってくるのではないでしょうか。

言葉も歌うことも踊ることも、服を着ることも化粧をすることも、食べることや寝ることでさえ全てが無意味です。

形があるからこそできることが沢山あります

見ることや味わうこと、感じること苦しむこと、喜びや恍惚。

肉体つまり外見を整えずに野放図にすることは、これらを放棄することにも似ています。

身体を放っておくことは、五感が働かなくなり感性を鈍らせることになるからです。

また視点を変えて考えると、自分を多くの時間見ているのは実は他人である、という意識を持つことも必要なのではないでしょうか。

自分さえ良ければいいのではなく、相手の気分を害さないように整えるという配慮。

美しさを目指すとき、滑稽にみえるかどうかは他者への配慮があるかないかではないかと思います。

つまり、独りよがりで自己中心的な自分に作り上げていないか、客観性の有無が必要だということですね。

「私はこれで満足だから」

と主張するのは良いですが、これでは相手とどんどん分離していきます。

相手が見ても心地よく感じるような外見であれば、「この人をずっと見ていたい♪」と、相手と一体感が生まれますね。

誰が見ても美しいと思われるには、共通の法則があるようです。

それはシンメトリー顔や体型に近づけることになります。

これは思考、つまり脳の使い方に大きく左右されていますから、右脳左脳をバランスよく使うことを意識しすることです。

そちらに関しましては、こちらの記事を宜しければどうぞ。

左右で顔の印象が違う!左右対称美人になるための新習慣

また、顔全体が能面のようなお化粧が不自然であるように、ある程度自然体であること。

それらを目指すことは、決して低次なことではなく、配慮を行き届かせないとできないことではないでしょうか。

むしろ人として誰しもが心掛けるべきことだと、私は考えています。

美欲は高次な欲求の一つ

実は私が言うまでもなく、高次な欲望であることが認められているのはご存知でしょうか。

マズローの5段階欲求と言われる、人間の欲を段階的にまとめたピラミッド型の図は有名ですね。

これ私は最近知ったのですが、後世に見直され現在では7段階ではないかといわれています。

1 生理的欲求(食物、水、空気、性等)

2 安全の欲求
(安定、恐怖・不安からの自由等)

3 所属と愛の欲求
(集団の一員であること、他者との愛情関係等)

4 承認(自尊心)の欲求
(有能さ、自尊心、他者からの承認等)

5 認知の欲求
(知ること、理解すること、探求すること)

6 審美的欲求
(調和、秩序、美の追求)

7 自己実現の欲求
(自分がなりうるものになること)

(『ヒルガードの心理学』)

太字の部分が、加えられたところになります。

私たちは、生まれながらにして「学ぶ」ことへの探求心や、「調和を取る」ことを求めているのです。

そしてこれらは、非常に高次な段階の欲求で、「美」の追求は「知」の探求よりも上であるというのは、とても興味深いですね。

知識を得ることの方が高次だと思っている人は多いのではないかと思います。

では、「美」の追求の審美的欲求の方が高いとされているのはなぜなのでしょうか

まずは自分勝手ではなく「型」を学ぶこと。

そしてそれを理解した上で、自分の中で吸収し発酵させ、自分なりの芸術や調和・美の表現によって完結させる。

だから、「美」の追求は「知」の探求よりも上位の欲求なのだ、私はそのように捉えています。

先程、健康を目指すと美しくはならないが、美しさを目指すと健康になる、とお伝えしたのはこのことです。

「美」の追求は、「健康」を求める安全欲求よりも上位にあります。

健康になろうとするよりも、美しくなろうとする方がより高度であるため、それが実現した時にはいつの間にか健康も手に入っていた、という訳なのです。

まとめ

人間が人間として生きていく以上、また成長を求めるならば、審美的欲求に素直になるべきではないでしょうか。

大袈裟ではなく、外見磨きは誰にとっても生きていくのにとても必要なことだなと思います。

「別にそれがなくても生きていけるし」

そう思われるかもしれません。

けれども、それは本心でしょうか?

どこか諦めていませんか?

もし、なりたいように姿を変えられるとしたら、なってみたい人がいるのではないでしょうか?

自分磨きとは、誰のためでもなく自分のためにするものだと思います。

本当の気持ちや欲求に素直に向き合いましょう

それは、真に自分を愛することに繋がっていきます。

自分を深く愛し満たすことができれば、自然とその人自体が愛の存在になれるのです。

そうです。

美しさを追求することは、更にその上、「どんな存在になりたいか」の入り口に立つことでもあります。

私にとって自分を磨くことは、もはや肉体の美を追求するだけではありません。

「人生において美しさとは、

また、美しく生きるとは何なのか?」

長い人生の中で、この問いの答えを探すことに繋がると考えています。

あなたの答えは何でしょうか?

私も一緒に考えていきたいと思います。

そして、堂々と美を追求していきましょう!