「孤独が辛くて鬱になりそう…」孤独との向き合い方

お玉ちゃん
どうしてボクには友だちが少ないんだろう…
つばき
心から信頼してお話しできる人がいないわぁ

このような時、孤独を感じてしまいます。

また日が暮れて暗い中、1人部屋の中に閉じこもっていると本当に1人なんだなぁとつくづく感じさせられるものです。

孤独が身に染みて辛い時、私たちはどのように考え乗り越えていけば良いのでしょうか。

今回は、孤独との向き合い方について考えてみました。

孤独の種類

お玉ちゃん
なんだかクロと話してても、噛み合わなすぎて一緒にいる気がしない…
つばき
分かるわ〜。誰かと一緒にいて、余計孤独を感じることもあるよね。

孤独には様々な種類があるのではないかと思います。

1つ目は、物理的孤独

休日に部屋で一人でいるのが無性に寂しく感じられることがありませんか?

外に出て喫茶店などに入った時誰かがいることで安心する、みたいなものですね。

よく大型のショッピングセンターなどで、お年寄りがフリースペースの椅子にずーっと腰を掛けている姿を見かけます。

何をするわけでもなく、ボーっと佇んでいる様子。

賑わっている空間にいることで、落ち着くのかもしれませんね。

2つ目は、心象的孤独

先程うちのお玉ちゃんも話していましたが、人と一緒の時でも賑やかな街の中でも感じてしまう孤独のことです。

これは物理的な問題ではないので、行動で取り払うことができません。

つねに心に霧がかかったように占領しスッキリと晴れることがなくつきまといます。

どこにいても、誰といても感じてしまうこの心象的孤独。

ここに一度入り込んでしまうと、何をやっても満たされずに鬱に陥ってしまいます。

外側に解決方法を求めても解消されないので、どうしようもないのです。

さて、この後この心象的孤独を取り払う方法はないのでしょうか?

いいえ!そんなことはありません(・∀・)

この解決策をあらゆる視点を考えていきましょう♪

なぜ孤独を辛いと感じてしまうのか

一度孤独を感じ始めると、まるでパニックになってしまったように不安になってしまうことはありませんか?

誰かに側にいて欲しかったり、話をしたりしたいのですが、それができる相手がいません。

そうして、対処法が見出せないことで、余計にこのパニックが加速していくように、孤独に苛まれます。

けれども考えてみれば、ただ単に「一人で居る」というだけの話。

誰かに襲われるわけでもなければ、別に死の危険が伴うわけでもありません。

それなのに、なぜこんなに辛く鬱々としてしまうのでしょう?

いくつか原因を探ってみました。

「孤独は寂しいもの」は社会通念の悪影響?

私たちは様々なものに無意識のうちに影響を受けながら生きています。

「孤独」を恐れ忌み嫌ってしまう理由も、知らず知らずに受けている影響が要因となっている可能性があります。

その最たるものが「サザエさん」。

あのアニメによって、「一つ屋根の下に複数の人たちが集まり、常に誰かと関わり続けるのが当たり前だ」というイメージが、幼い頃からいつの間にか常識のようになっていrのではないかと思うのです。

これは決して「サザエさん」が悪いというわけではありませんヽ(´o`;

私はかつてテレビがあった頃は、大人になっても録画して見るほど好きでした(笑)

カツオの言い訳って、ホント秀逸で素晴らしいですよね!

ただあの一家が人間のコミュニティの基本と捉えてしまうと、途端に生きにくくなってしまう、というお話です。

人は大勢の親しい人たちと仲良く過ごすのが幸せである。

果たしてそれは事実なんだろうか?

いつしか私は疑問を抱くようになりました。

この意見を採用してしまうと、1人で部屋にいる、または親しい人がいない自分は不幸で惨めな存在だと思ってしまうことに気づいたからです。

そして、

ある1つのパターンを全てと思うことには危険性がある

ということにも気づきました。

それにとらわれてしまうと、比較することによって当てはまらない自分は常に幸せになれません。

「当てはまらない自分って、本当に不幸なのかなぁ?」

私は冷静に自分の心を内観した時、案外と孤独を楽しめている自分を発見することができました。

ま、これは私が引きこもり体質だったから、ということもあるんですけどね〜。

親しい人がいなくて相談できない人は孤独?

人生に迷いはつきもの。

時に人との関係や仕事上のトラブルや悩みを抱えた時、無性に誰かにお話したくなる時ってありますよね。

つばき
こんな時、口が堅くて頼りになって悩みを相談できる友だちがいたらなあ…(でもいない)

と思い、そんな友だちを作ってこなかった自分を恨めしく思ったりします。

ここで、何が悩みの原因を作っているのか、と少し視点をずらして考えてみようと思うのです。

「親友」や「友達」 とは○○な人である

○○に当てはまる言葉は、人によって異なるかもしれませんね。

実はこれが自分の悩みを作っている、ということにある日私は気づきました

「友だちは多い方が良い」

「友だちならば、友人の悩みを親身になって聞くべきだ」

いつの間にか、私の中にこのような定義が出来上がっていたのです。

けれども友人も少なく、親身になってくれる人がいなかったので、自分がとっても寂しい人間だとばかり思っていました。

つばき
こないださぁ、職場のおじさんからセクハラ被害に遭ってホント気持ち悪かったんだよね…

A子:「何それ!あんた自慢してんの!?」

つばき
……!?

このような感じで、自分では悩んだ末信頼して話をしてみても、打ち明けた方がストレスになるという状況。

望むような友人がいない自分は、情けなく人として何か欠陥があるのでは?とまで思っていました。

自分が孤独を作っている

すっかりふさぎ込んでいたある日。

ふと、この状況を友だち視点から考えてみると、全くもって迷惑な話なのでは?という気づきが降ってきました。

だって、友人からすると待ちに待ったせっかくの休日、私の誘いに乗って出て行ったら、お悩み相談だけの時間で過ぎていってしまったならば、そりゃあ返事も適当になるわけです。

友人だからと言って、いつも完璧に期待に応えられませんし、むしろ応える必要さえありません。

無意識で相手に「○○して欲しい」と期待を持ったり、「こうあるべき」という前提を持った上で付き合ったりすると、問題のないところに問題を生んでしまいます。

そして、期待に応えない相手が嫌になって勝手に一人を選んでいるだけではないか?と。

友人であっても、もちろん家族であっても、「なんでも話を聞いてくれてるものだ」「多くいる方が幸せ」などと決まったものではありません。

「好きで孤独になっていたのは自分だったのか」

孤独が嫌だと思いながら本当は孤独を求めていたのだ、と気づくのに何十年もかかってしまいました。

自分のことって見えないものですねぇ。

「孤独」は寂しいけど……

というわけで、結構お一人様(ぼっち)歴は長い椿でございます。

が!

案外とそれを楽しんでいる自分がいます。

たとえば一人カラオケ、一人映画、一人焼き肉、一人旅、一人セミナー参加……。

いつもその時のコンディションや気分で風任せにふらっと動けます。

何事もプラスマイナス両面あって、どこに焦点を当てるかなのかもしれません。

・一人は孤独で寂しいものだ(マイナス)

という悪い面だけではなく、

・一人は気ままで自由で楽しい(プラス)

という良い面も同時に発生しています。

どちらかに偏りすぎるから悩んでしまったり、揺り戻し減少により苦しんだりするんです。

というわけで、悩みの種である「孤独」に関してのデメリットとメリットを意識的に一度考えてみました。

〜デメリット〜
・寂しい

・困った時に支えてくれる人がいない(のではないかと思ってしまう)

・周りに一人ぼっちで友だちがいない奴だと思われる

〜メリット〜
・自分の好きなようにできる

・人間関係のトラブルに巻き込まれない

・一人でも行動できる自立した人間に見られる

意識的にこのように挙げてみると、案外メリットも沢山あるんですよね。

「孤独」も「孤独じゃない」も同じこと

そして考えているうちに、またまた気づいたことは、

私たちは今までずーーっと孤独であり、かつずーーっと孤独じゃないんじゃないか⁉︎、ということです。

訳がわかりませんよね。

お玉ちゃん
椿ちゃん、分かりやすく説明してよ〜
つばき
頑張りまーす♪

ずーっと孤独であるということでよく言われるのは、「生まれる時も、死ぬ時も一人だ」ということですよね。

人間は誰かと一緒にいても肉体は別々であり、内面や肉体もバラバラです

体は常に隣に縛り付けておくことはできませんから(笑)別々に行動し、

口では合わせていても思っていることが違うこともありますから、それを確認することはできません。

私たちは誰かと完全に1つになる感覚を持つことは難しいのです。

ですからずーっと孤独を味わうことになります。

一方で、ずーっと孤独ではないこともまた同時に起こっているんです。

人間はたった一人で自立できるわけではなく、物理的にも内面的にも多くのものの支えによって生かされています

例えば、目の前にあるコンビニのおにぎりは、

農家という作り手がいて、

それを買い取る人がいて、

届けてくれる人、

商品に仕立てる人、

陳列し販売する人など、多くの見えない人たちと繋がっています。

その何処か1つが欠けても、自分の手元には届かなかったという奇跡を感じてみるんです。

つばき
何だかおにぎりちゃんが愛おしく感じちゃう…

そのような繋がりは無数に発生しています。

孤独は自分と一緒であるという発想の転換

オススメなのは、自分を別人格と捉え仲良くなってみるという感覚を持つことです。

これ、とっても楽しめます。

つばき
今日は椿ちゃんとどこに遊びに行こうかしら♪
つばき
ちょっと冒険してこんな大人なバーに一人で来ちゃった!

みたいな、若干怪しい人ではありますが(笑)

一人でいる時間は、自分を独占できると考えてみてはいかがでしょうか。

自分のことは、一番自分が見えていないものです。

様々な体験をしていく中で、じっくりと自分の反応を観察してみるのもまた楽しみの1つ。

心象的孤独は外側で寂しさを埋めようとするからこそ、陥ってしまうものではないでしょうか。

つばき
自分のことは自分が楽しませてあげるんだ♪

このように自己対話の良い機会であり、新たな自分との出会いだと捉えると見える世界は変わってきます。

孤独と孤高の違い

結果1人の状態であっても、それに至る経緯は変わってきます。

たとえば周りに嫌われるような言動を繰り返した結果1人になってしまった人と、

自分で敢えて1人の状況を作っている人とでは違いますよね。

棲み分けをするのであれば、前者が「孤独」で後者が「孤高」とすることもできます。

孤独は自分で蒔いた種によって致し方なく陥ってしまった状況なので、自業自得と言えそうです。

「孤独」は自分から歩み寄る学びを、神から与えられたのでしょう。

反対に「孤高」ですが、格好良く言い換えるならば「賢者のたしなみ」としてはいかがでしょうか。

最近私は敢えて1人でいることを選んでいます

うっかりすると人は悪口や嫉妬やイライラやストレスなどをつい口にしてしまいがちです。

そのような空間にいると、自分も空気に飲み込まれてしまいそうになります。

ですから、自分のエネルギーを保つために、普段はあまり人と関わらないようにしているんです。

この調整を始めてからというもの、煩わしい人間関係のストレスから一気に解放されました

つばき
今までは無理して人と付き合いすぎてたなぁ。

自分で敢えて一人を選択しているんだ、と思うと人生がとても楽になりますよ。

まとめ

すっかり「ぼっち慣れ」してしまった私は、気づけば友だちと会うことを止めて1年が経とうとしています。

その代わり、理想や志を高く持つ「仲間」や「同士」と言える人たちとだけ会うようにしているんです。

「この人素敵だな♪」

「私も一緒に頑張りたい」

そんな風に思う人とだけ関わるようにしていくと、自分も変われるからです。

そうでなければ極端な話、関わらない方が良いとさえ思っています。

ぼっち万歳!

誰と関わるかで人生が決まります。

今は関わりたい人がいないのであれば、一人を選びましょう。

いつかあなたに出会うべくして出会う、素晴らしい人を引き寄せるまで。