大人の去り際の美学|職場の美しい去り方

誰しも一生のちに多くの出会いと別れを繰り返すものです。

その多くが殆どの場合職場での出会いなのではないでしょうか。

そして不思議なものでその大多数の人とは別れることになります。

名前も思い出さないような人がいる中で、どうしても忘れられない人もいるものです。

あなたがこれまで関わってきた人のにそんな忘れられない人はいますか?

「別れ方」によってその人の印象が大きく変わることもあると思います。

カッコつけて言うならば「去り際の美学」と言いましょうか。

忘れられない人、忘れられる人、こんな去り方は嫌だと逆の意味で思い出される人…。

人は様々です。

素敵な大人とは、立ち去る時もしくは立ち去った後残された人に余韻を感じさせる、そんな人ではないでしょうか。

別れの余韻を残す、もしくは「あの人は素敵だった…」と忘れられないような人になる「別れ上手になる方法」を考えていきます。

ちなみに、転職という転機を迎えている方にはこちらも是非お読みください。

自分にとって縁のある職場はどこに?スピリチュアル的に見極める方法

去り際の美学その1 一度別れたら振り返らない

ある職場で働いていた時のことです。

ある女性が2年間働いていて、その後に引き継いだのが私だったのですが。

その彼女は職場を離れた後も何度か遊びに来て、おしゃべりをしていくのです。

最初のうちは周りの職員たちも「あぁ、よく来たね」と対応していました。

そのうちあまり相手にしなくなっていくのはお分かりですよね。

「よく来たね」というのはあくまでも表向きの言葉であり、それをそのまま受け取らずに遠慮するのがマナーというものです。

けれども契約期限切れで後ろめたさなどはないとはいえ、職場に遊びに来てしまうようなその女性は、社会人としての暗黙の了解が分からなかったのかもしれません。

また、新しい人に自分が築いてきた環境を奪われる気がしたのかもしれませんね。

この女性のようなことはしないまでも、私自身気をつけなければいけないと思うのは、「爪痕を遺そうと思わないこと」です。

多かれ少なかれ、皆他者に対して「どう?すごいでしょ?」をやっています。

これがやる気の原動力であったりもするので、うまく働けば悪いものではありません。

しかし、やればやるほど滑稽に見え逆にカッコ悪さを露呈することになります。

「自分はこんなにスゴイ!」

「私の方が正しい!」

というのを出そうとして仕事であれば、前の人のやり方を変えてしまったり、あえて引き継ぎを残さなかったりということをやってはいないでしょうか。

一つ言えるのは、自分一人がしたことは大した事ではないということと、何をしてもしなくても後の人がそれなりやるのだということです。

自分の力(能力、人脈)を過信し、そしてそれを皆に認められようとする気持ちが、変な行動を生み却って疎まれてしまいます。

残された人が最低限困らない程度のことはこなしながらも、「一度去った場所には踏み入れない」という潔さが後を引く余韻となるのです。

去り際の美学その2 最後に贈る言葉

何となく立ち消えになってしまう別れもありますが、別れの場を与えられているのであればどんな言葉を掛けるか悩みますよね。

送る者・送られる者の心得があるような気がするのです。

「最後にどんな言葉を掛けるか、それとも心に秘めておくか。」

「最後だからこそ話せることは何か。」

それによって相手に変化させることや影響を与えることを期待せずに、何を伝えるのか。

私には最後に温かな言葉を贈ってくれた、決して忘れられない人がいます。

かつて、どうしようもなく職場で追いつめられ、鬱病状態に陥った時のことです。

大学を卒業したてで、ヤンチャな子たちが多い学校に勤めたときのことでした。

強い者弱い者という子どもたちの人間関係ができあがっている学校で、全員が安心して通える環境を作りたいと思う私にできることは、子どもたちに厳しさを教えることでした。

しかし、真意が伝わるようなきちんとした指導ができず、敵対する毎日。

保護者の中には、沢山のご意見(笑)を下さる方もおり、正直なところ心が折れていました。

一部の保護者ではありますが、恐ろしいことにどの教員にクレームをつけイジメるか、ターゲットを決めていた人もいたようで(゜o゜;

私は一部の保護者たちの、いかに教員を辞めさせるかゲームのターゲットになっていたようです。

人の恐ろしさを知りました。

そういった環境下で働くと教員同士が非常に殺伐としていきますから、特に仕事のできなかった私は同僚の女性教員たちからも陰で批判を浴びるようになります。

そんな時に限って、遠距離恋愛だった彼氏とも別れるという八方塞がりの状況。

今でこそ自業自得だったと分かりますが、当時はとても苦しんだものです(-_-;)

そんな職場で出会った上司Hさんは、忘れられないとても大切な人となりました。

Hさんは私がその職場を異動する時、別れ際に小さな紙に書いたメモを下さったのです。

そこには「わたし(Hさん)の稀有かもしれないが…」と私が教育から離れることを予見しての言葉が書いてありました。

励まし、応援する温かい言葉が端的にまとめられています。

「こんなに何もできない私に、こんな言葉を下さるなんて…。」

有り難さと自分の無力さにただただ涙しました。

後から聞いた話ですが、この方は私に来たクレームや保護者対応を陰で処理してくれていたそうなのです。

決して多くは語らず、私を信じ言葉を飲み込んで、ずっと温かく守り続けてくれてくれました。

そして部下だから年下だからと頭ごなしに説教をすることなく、きちんと一人の人間として同等に扱ってくださいました。

あれから十数年。

私にとって忘れられない方です。

頂いた手紙は今でも私の宝物として大切に保管してあります。

去り際の美学その3 送られる側の心得

送られる人の中に、送る人の気を引こうとする人がいます。

アイドルの引退などに見られるビジネスの話ではありませんよ(笑)

自分の存在意義を確かめようと、相手にわざと迷惑が掛かることをやってしまっている人ということです。

定年退職を迎える方で、それなりのポジションもある方の去り際に少々勝手ながらガッカリしたことがありました。

どこでも同じような慣習があるかは分かりませんが、転勤者・退職者(特に上司)が出た場合皆で外に見送りに行く暗黙のルールがある職場に勤めたときのことです。

多くの場合定時までいることなく、午前中でとか午後の早い時間に「それではお世話になりました」とサラッと去っていかれます。

けれども退職者Nさんは、最終日にいつまでたっても帰りませんでした。

定時を過ぎ、1時間経ち2時間経ち。

その間、数十名の職員は帰ることができずにNさんの動向を黙って伺っている状況なのです。

そして他の職員には何も告げずに一人でさっさと職場を後にしようとしたNさんを見つけ、皆慌てて外に出るという有様でした。

その姿は、まるで追われることを期待して、それによって自分の価値を確かめているような行動に見えたものです。

別の見方をするならば、本人は至って気を引く気などなかったとも考えられるのかもしれません。

けれども上司という自身の立場や、職場の慣習を知った上での行動ですから、個人的には何とも幼さを感じてしまいました。

その人の去り際の姿こそ、その人そのものを表すものです。

Nさんは常に「どうだ、すごいだろ?」と過去の栄光を語り、そして非常にワンマンで部下の気持ちを考慮することのない方でした。

去り方は、まさにその通りになったということですね。

「あ~、やっぱりこの人はこういう人だよな…」

という印象を私たちに与え、関係が終わりました。

別に人に好かれるために生きている訳ではありませんので、それの何が悪いのかと思われるかもしれませんね。

けれども、人の好意を無にするような行いは、個人的にはナンセンスだなと思っています。

最後の別れだからこそ、せめて気を遣わせないための気遣いができるようでありたいと願うのは、私だけでしょうか。

去り際の美学その4 普段のその人の在り方

「去り際の美学」と言いつつも、去り方だけでその人の価値は決まるものではありません。

普段のその方の仕事の仕方がどうであったか、その積み重ねによって価値が決まります。

その人がいなくなってから、存在の大きさを感じさせるような人はとても素敵だなぁと思います。

ある職場で共に働いたO(男性)さん。

この方はとてもソフトな印象で人当たりがよく、坦々と仕事こなしており特に目立つような方ではありませんでした。

その職場は自己アピールが強い人が多く、その方たちの間に入りまるで緩衝材的な(笑)存在。

どうやってストレスを発散しているのかと、不思議に思うほどでした。

密かに女性職員のファンも多く、その魅力を聞いてみたことがあります。

私:「Oさんのどういうところに惹かれるんですか?」

Oさんファン:「実は人をよく見ていて、服装とか髪型とかの変化に気づくと声を掛けてくれるところかな。あと、自分からは言わないけど、さりげなく皆の仕事をサポートしてくれてるんだよ。」

そういえば、「良いよ~、俺やっとくから」と言われたことがあったような(゜o゜)!

なんとさりげないこと!

つまりOさんは、いかにも何でもないようにサラッと仕事をこなしていたり、さりげなくサポートしてくれたりしていて、人に気を遣わせない生き方をしているということです。

なんでもないようなことを、大げさに見せびらかすようにして仕事をする方が多くいらっしゃいましたから(^O^;)

見事な対比で、Oさんの人間性が浮き彫りになったのでした。

自分すごいアピールをする方は、つい自信のなさから自分で言うしかないのでしょうが、見ていてとても虚しくなります。

何も言わずに実は多くのことを引き受けてくれていた、と去った後や人から言われてようやく気づかせるような存在感の消し方は、本当に憧れますし自分もそうありたいなと思うものです。

まとめ

美しい別れとはどんな別れでしょうか。

別れの言葉で思い出されるのは、中国語の「再見(ツァイチェン)」です。

交通手段の発達していなかった古代中国において、一度の別れは今生における永遠の別れでした。

それをよく知りながら互いに「また会おう」と固く約束し別れる心に、美しさを覚えるのはなぜでしょう。

この言葉からは、ただただ相手の無事や幸せを祈る気持ちや、出会えたことへの感謝・愛が感じられます。

まさにこのことではないでしょうか。

現代において、再びその人に会うことは可能ではありますが、それは既に終わった関係性と言えます。

ある一定の期間同じ目的のために集った仲間ではありますが、その目的が変わった時もはや元の関係には戻れません。

その終わった関係にいつまでもすがるのではなく、

「お世話になりました。どうかお幸せに。」と感謝し祈りを込めて手放すこと。

そして普段から見返りを求めずに人に愛を込めて丁寧に接すること。

どんな行動をすることが美しいかではなく、その人の存在そのものが美しさを感じさせるのだと思います。

普段からいかに相手のためにと思い生きられるかが、自然と相手の心を打つ美しい生き方に繋がっているのではないか。

私にはまだまだ到達できない域ですが、そうなりたいものですねぇ(´-ω-`)